受賞作品

第2回(2025年度)
静岡絵本エピソードアワード

  • 県知事賞 / 瑠夏/「おまえ うまそうだな 」
  • 絵本のまち三島 宮西達也賞 / かやぼん/「りんごのき 」
  • 絵本のまち三島 スギヤマカナヨ賞 / 秋澤貫太/「おおきな木 」
  • 絵本のまち三島 竹山美奈子賞 / 上藤 美紀代/「100万回生きたねこ 」
  • 絵本のまち三島 マスリラ賞 / 桃田さくらこ/「おじさんのかさ 」
  • 中高生の部 長倉書店賞 大賞 / あんじゅ/「かみさまからのおくりもの 」
  • 中高生の部 長倉書店賞 優秀賞 / 瑞葵/「ちょっとだけ 」
  • 実行委員会特別賞 ヨットブックス賞 / といろ./「ことりをすきになった山 」
  • 実行委員会特別賞 ジンジャーブックス賞 / キクチマユミ/「アンナの赤いオーバー 」
  • 実行委員会特別賞 グリム賞 / 杉山博代/「あんなにあんなに 」
  • 実行委員会特別賞 あひる図書館賞 / とつか めぐみ/「ねえ だっこして 」
  • 県知事賞

    ペンネーム

    瑠夏

    (静岡県沼津市)

    「おまえ うまそうだな 」

    文 宮西達也、

    絵 宮西達也

    よく小さい頃に離婚して今はいないお母さんが寝る前に読んでくれた本があります。

    その本は【お前うまそうだな】という本でよくお母さんが読んでくれていて今でも内容が心に残っています

    この本の最後は本来はティラノサウルスは育て親として育てていたアンキロサウルスの子供と離れることを選ぶのですがお母さんは二人で仲良くいつまでも暮らしましたで終わらせていて今思うとお母さんの望みがあったと思います私はそれを2つの意味で受け止めていて一つはいつまでも私と一緒に暮らしたいと思ってくれていたのかなということです

    2つ目は今となってはわからないですがもし読んでくれていたときすでに離婚が決まっていたらお父さんと一緒に仲良く暮らしてほしいという願いがあったのかなと思っています

    今お父さんは再婚して家族三人で仲良く暮らしています

    お母さんの願いが、望みが叶っていたらいいと思いました

    この本を見るとお母さんを思い出して色々な楽しい思い出や悲しい思い出が浮かんできますが私とお母さんをつなぐ大切な本なので大事に思い出として心に残しておきたいです
  • 絵本のまち三島 宮西達也賞

    ペンネーム

    かやぼん

    (福岡県北九州市)

    「りんごのき 」

    文 エドアルド・ペチシカ、

    絵 ヘレナ・ズマトリーコバー

    読書にまつわる私の中の一番古い記憶は、母親からの絵本の読み聞かせの記憶である。その絵本は、 『りんごのき』(エドアルド・ペチシカ作、ヘレナ・ズマトリーコバ絵、うちだりさこ訳)という本だ。当時の私はこの挿絵がとにかく好きで、何度も何度も繰り返し読んでもらった。文字の読めない子どもにとって、初めての読書体験とは「音読してくれる声」と「挿絵」そのものなのだと思う。

     どうしても手放せなかったその本は、今や色あせてページもボロボロになってしまった。けれど、そこには私自身の読書の原体験が詰まっている。その感覚を娘にも手渡したいと思い、私は出産にあわせて新しいものを購入した。 娘に読み聞かせながら、私はあの頃の自分の姿を娘の中に見つけ、同時に読んでくれていた母の姿を私自身の中に追体験した。母、私、そして娘。この一冊を通して三世代が重なるような稀有な時間を過ごせたことは、忘れられない思い出だ。私にとって、これほど味わい深い本は他にない。

     母はきっと、私を「読書好き」にしようと意気込んで読み聞かせをしていたわけではないだろう。ただ、親子で向き合う温かな時間を重ねてくれただけなのだと思う。けれどその結果、私は「趣味は読書です」と胸を張って答えるほど本が好きになり、今に至る。

     本を開くたび、私は新しい世界を知ると同時に、かつて愛された記憶の中の「私」に立ち返ることができる。そうして積み重なった言葉と記憶が、今の私を作っているのだ。 母が私にしてくれたように、私もまた、ページをめくる指先と声を通して、娘という存在が色鮮やかに育っていく手伝いができれば嬉しい。

     読むことは、私になること。そして、いつか娘が「娘自身」になるための、確かな礎になると信じている。
  • 絵本のまち三島 スギヤマカナヨ賞

    ペンネーム

    秋澤貫太

    (静岡県三島市)

    「おおきな木 」

    文 シェル・シルヴァスタイン、

    絵 シェル・シルヴァスタイン

    僕の誕生日のプレゼントは毎年本だった。母が本が好きなのもあって、小学6年生までいろいろな本をもらった。その中でもらった本の一つが「大きな木」だった。しかし、小学生の僕は、「誕生日が本なんておかしい」「他の子はおもちゃや自転車をもらってて羨ましい」と思うだけで全く喜べず、よく泣いていた。そして、少しの反抗心からもらった本を読まずにいた。中学生に上がって、本棚を整理して新しい本が入るスペースを確保しようとしていたときに、小学生の時にもらった絵本がたくさん出てきた。表紙しか見ていなかった本を見つけ、少し恥ずかしくなりながら、親がいないことを確認しその絵本を読んでみた。飛び出す絵本や間違い探しの本などたくさんの種類の本があった。そして最後に読んだ本が「大きな木」だった。「大きな木」は少年と木の一生を描いたストーリーで、木が少年に与える無償の愛と、おとなになるにつれて変わっていく少年の考え方がページをめくるごとに描かれた物語であった。読み終わったあと、本の最後のページに手紙が書いてあった。その手紙にはその一年にあったこと、なぜこの本にしたのか、来年のことを想像したことが手紙として書いてあった。その時になぜ母が誕生日に本をくれたのかが初めてわかった気がした。母も木と同じだった。ただ木と違って、直接伝えられないことを本に込めて伝えようとしてくれていたのだ。ただ、本を読まなかったからその時に気づけていなかったのだ。そのことが申し訳ないような恥ずかしいような気持ちで中学生にもなって一人で部屋で泣いていた。そんなときにちょうど母が帰ってきた。本が散らかっている部屋で一人で泣いている自分の子を見て、呆れたのか「なにしてんの?」と少し怒った口調で問いかける母に何も言い返すこともできず静かにうなだれるしかなかった。その時にもし自分が子供になにかあげるなら一生残る本にしようと強く思った。
  • 絵本のまち三島 竹山美奈子賞

    ペンネーム

    上藤 美紀代

    (静岡県静岡市駿河区)

    「100万回生きたねこ 」

    文 佐野洋子、

    絵 佐野洋子

    「先生のような人を増やしてよ!」

    少年鑑別所で出会った少年の真剣な眼差しが脳裏に焼きついています。

    絵本専門士の認定を受けた8年ほど前から、月に1度、少年鑑別所での読み語りボランティアをつとめています。少年院の篤志面接委員として、絵本がいかに少年たちの心を溶かし、自己と向き合う勇気を与えてくれるものか、絵本のもつ力を実感しておりましたので、鑑別所にも通わせていただけるよう直談判いたしました。

    鑑別所の読み語りは1対1あるいは数人対1の体面形式で行います。時間は1時間ほど。机に並べた十数冊の中から、少年たちが指し示したものを読んでいくのですが、感想はきかずに、少年たちが受けとめてくれたものをそのまま大事に自室に持ちかえってもらいます。もう数年前のお話になりますが、ある日、私の前に座った少年は、珍しくよくおしゃべりをしてくれる子でした。『100万回生きたねこ』と『わすれられないおくりもの』を読んだ後だったと思います。私がなぜここにいるのか興味を持ったようで、私のプロフィールを尋ねてきました。一通り話すと、何を思ったのでしょう、突然「先生のような人を増やしてよ!」と言い出したのです。「え?」という表情で彼を見ると、「すごく癒されたし、落ち着いたよ」「僕らのような少年や罪を犯してしまった人達にいっぱい読んであげてよ」「先生のように絵本を読んでくれる人が増えたら、世の中、犯罪も非行も自殺も減るよ! 絶対!!」 彼の“本気”が伝わり、その迫力に私は言葉を失ってしまいました。「そうなの?」「そうだよ!」

    別れ際、「先生、頑張ってよ。僕も頑張るから」、そういって彼は教官に付き添われ部屋を出ていきました。

    彼の言葉の意味の深さをまだまだ受けとめきれずにいる私ですが、あの時の彼の真剣な表情や言葉を支えに、また励みに、仲間を増やすべく努力を続けているところです。彼のしあわせを祈りながら。
  • 絵本のまち三島 マスリラ賞

    ペンネーム

    桃田さくらこ

    (東京都世田谷区)

    「おじさんのかさ 」

    文 佐野洋子、

    絵 佐野洋子

    忘れられない絵本のひとつに『おじさんのかさ』がある。お気に入りのりっぱな傘を大切にするあまり、雨が降っても傘をさすことなく濡れて過ごすおじさんの姿を描いた物語。

    この作品が長年私の心を奪い続ける理由は、実母が『おじさんのかさ』のストーリーを彷彿とさせるエピソードの持ち主だからだ。

    私が小学校低学年の頃のある時、母は新たに傘を購入した。とあるブランドの高額な傘。

    その傘が上等な素材を使用しており、また目をひくデザインであることは小学生の私の目にも明らかだった。

    清水の舞台から飛び降りるような気持ちで購入したのだと、当時母はよく語っていた。以前からそのブランドの傘が欲しかったが、価格に物怖じして何年も購入を踏みとどまっていたとも。

    そのように熱い思いと共に家にやってきたと思われる高級傘であったが、母が実際に使用している姿を目にしたことは一度もなかった。

    雨の日、「勿体無くて使えないのよねぇ」と言いながら高級傘を横目にいつもの数百円傘を片手に出掛ける母の姿を何度目にしたことだろう。

    他の傘が出払っていて傘立てに高級傘しか無いにも関わらず「濡らすわけにはいかないからねぇ」とのつぶやきを残し、雨に打たれながらスーパーに向かった母の後ろ姿を鮮明に覚えている。

    傘を大切にしすぎて使用できないその様子は、絵本のおじさんの姿を想起させるに十分であった。私はひそかに『おばさんのかさ』と呼んで状況を見守っていた。

    その後、小学生だった私も成長し、実家を離れてから気の遠くなるような時間が経った。気がつけば『おばさんのかさ』は日常から遠い存在になっていた。

    あの傘はどうなったのだろう。使われることなく傘立てに収まり続けていた、あのぴかぴかの高級傘。果たしておじさんのような経過をたどったのであろうか。

    次回の帰省では、『おばさんのかさ』のその後のストーリーについて母に尋ねてみるつもりである。
  • 中高生の部 長倉書店賞 大賞

    ペンネーム

    あんじゅ

    (静岡県磐田市)

    「かみさまからのおくりもの 」

    文 ひぐちみちこ、

    絵 ひぐちみちこ

    この絵本は私が赤ちゃんのころから母が読んでくれていたものです。これを読んだ後は「あなたは神様からの贈り物で、大切な存在なんだよ」とよく母は言っていました。この絵本には神様からの赤ちゃんへの贈り物がたくさん描かれています。そのすべてを天使が運んできます。めくるような仕掛けがあったり、色とりどりでかわいらしい絵が書いてあったりして、毎回楽しく読んでいました。母と「この赤ちゃんは私と似ている」などと話しながら読んだのを覚えています。何度読んでも飽きることがなく、毎回新しい本のような気持ちで読んでいました。それだけでなく、私の名前はフランス語で、「天使」と訳されます。この本には多くの場面で神様の贈り物を天使が運ぶ姿が描かれています。それもあって、この本を読んでくれていたのかなと思っています。今でも懐かしくて見返すことがあります。この絵本を見ると昔の母との記憶が蘇って心があたたかくなります。他にもたくさん絵本はありますが、なぜかこの絵本が一番思い出深い本なのです。私が将来親になったら必ずこの絵本を子供に読んであげたいです。母のように子供に「あなたは大切な存在なんだよ」と声をかけてあげたいです。未来の私との約束として。
  • 中高生の部 長倉書店賞 優秀賞

    ペンネーム

    瑞葵

    (静岡県沼津市)

    「ちょっとだけ 」

    文 瀧村有子、

    絵 鈴木永子

    私が一番記憶に残っている絵本は、瀧村有子さんの『ちょっとだけ』です。この絵本は、私に弟が生まれたときに母が買ってくれました。弟が生まれる前は、何をするにも母がそばにいてくれましたが、弟が生まれてからは「お姉ちゃんなんだから」と言われることが増え、少し寂しい気持ちを心に抱くようになりました。この絵本の主人公も、今までできていたことを「ちょっとだけ」我慢しながら成長していく姿が描かれていて、その気持ちが当時の自分と重なり、初めて読んだときは胸がぎゅーっと締めつけられました。しかし、この絵本はただ我慢する話ではありません。最後に、主人公が「ちょっとだけ」甘えることを許され、優しく抱きしめてもらう場面があります。その場面を読むたびに、心が軽くなりました。実際に、母はこの絵本を読んだあと、いつも絵本と同じように私を優しく抱きしめてくれました。その時間は、弟が生まれて不安だった私にとって、何よりも安心できる大切な時間でした。この絵本を通して、我慢することだけが成長ではなく、甘えたい気持ちを素直に伝えることも大切だと気づかされました。『ちょっとだけ』は、家族の温かさや愛情を感じさせてくれる、今でも私の心に深く残っている一冊です。
  • 実行委員会特別賞 ヨットブックス賞

    ペンネーム

    といろ.

    (静岡県富士市)

    「ことりをすきになった山 」

    文 アリス・マクレーラン、

    絵 エリック・カール

    これは小学生だった娘が《期間限定》で私に毎日読み聞かせてくれた物語です。

    その読み聞かせは決まって夕方の家事渋滞のさなかに始まりました。ある時は取り込まれた洗濯物の山の向こう側から。

    またある時は台所で野菜を刻む背中越しに。

    なぜならこれは国語教科書の一題材で《音読の宿題》だったから。

    早くやっつけちゃおう!感が満載の、スピード重視で抑揚の少ない娘の音読。

    かたや家事の手を止めず耳だけ傾け「はい、今日もサボらずに出来たね、頑張りました~!」

    普段はお互いにこんな調子だったのですが、この物語の時だけは違っていました。

    登場するのは水も緑も存在しない岩だらけの山と、小さな渡り鳥1羽だけ。

    寂しさばかりが際立つ冒頭、そこから長い長い時間を経て、自然の持つ生命力と強い想いの継承が語られていきます。

    少したどたどしく読み進める娘の声も真剣さを増し、私の家事の手は止まり、変わりゆく物語に鼻の奥がツンとなったのを憶えています。

    一日分の宿題は短く分割されていましたので、初めて読み聞かせてもらった日の夜遅く、とにかく続きを知りたくてランドセルの中から教科書を抜き取り、一人最後まで読みました。映画を見たようなじんわりと奥深い気持ちになりました。

    読み聞かせしてもらうこども達の「先を早く知りたい!」という気持ちがよく分かった夜でもありました。始まりは教科書の中でしたが、いま我が家にはこの絵本が本棚に並んでいます。

    悠久の時の流れ、壮大な自然の変容、深遠な命のリレー、すべてのスケールが桁違いなこの物語に、あの時も、今も、生きるのに大切なことをおしえてもらっている気がします。
  • 実行委員会特別賞 ジンジャーブックス賞

    ペンネーム

    キクチマユミ

    (静岡県藤枝市)

    「アンナの赤いオーバー 」

    文 ハリエット・ジィーフェルト、

    絵 アニタ・ローベル

    一年二組の学級文庫に並んでいた「アンナの赤いオーバー」が好きで、朝読書の時間に何度も繰り返し読んでいた。窮屈になってきたアンナのオーバーを新調するため、ものがたりは羊の毛を刈るところから進んでいく。糸つむぎのおばあさんに羊毛を紡いでもらい、コケモモの実を摘んで色をつけ、それを機屋さんで布地にしてもらい、最後に仕立て屋さんの元へ行きオーバーはやっと完成する。ここに至るまでに季節は何度も移ろいでいる。気が遠くなりそうな話だ、と今の私は思うのだけれど、子どもだった私には何かを一から作り出すという行為がたまらなく刺激的で魅力的に映った。本物のコケモモの実は見たことがなかったけれど、きっと色鮮やかで瑞々しい、とびきり素敵な実なのだろうと想像した。丁寧で豊かなものがたり。私の記憶の中で「アンナの赤いオーバー」はそう刻まれていた。

    しかし、大人になってあの物語は第二次世界大戦後の物資の乏しい時代のはなしであったことを知り、ひどく驚いた。物もお金も潤沢にないそんな暮らしの中で、母親が優先させたのは娘のオーバー作り。愛する娘が寒さ震えることがないように、と。勿論、無償でオーバーは作れない。形見だと思われるおじいさんの金時計やガーネットのネックレス、ティーポット、そういった戦前の豊かな思い出の詰まった物であり、資産でもあるそれらを手放してでもアンナにオーバーを作ってやりたかった母親の気持ちを思うと胸が熱くなる。ガーネットのネックレスはもしかしたら、アンナの父親でもある夫からのプレゼントだったのかもしれない。このものがたりの最初から最後まで、アンナの父親は登場しない。

    戦争がもたらした深い哀しみと、それでも生きていかなければならない現実。オーバーが完成するまでの時間は人々が前を向くための時間でもあったのだ。これほどまでに秀逸な絵本は他に知らない。
  • 実行委員会特別賞 グリム賞

    ペンネーム

    杉山博代

    (静岡県静岡市清水区)

    「あんなにあんなに 」

    文 ヨシタケシンスケ、

    絵 ヨシタケシンスケ

    一人でふらっとヨシタケシンスケ展へ行った時のこと。絵本の販売コーナーで同年代くらいの女性が立ち読みをしていた。しばらくして彼女はその本を持ち、レジに向かった。

    ヨシタケシンスケさんの本はだいたい読んだことがあるはずだったが、その本は見たことがないかもと思い、赤い表紙の「あんなにあんなに」を手にとってみた。読みはじめると馴染みの軽快でユーモラスな絵と文字が飛びこんできた。あれ、これは、私と幼かった息子のことではないか。子育てに悩みながらも、成長していく息子と向き合ってきた自分が絵本の中にいた。あんなに泣き虫だったのに、あんなに心配したのに、あんなにいつも側にいたのに、あんなにあんなにばかりが次々とでてくる。あんなに小さかったのに今ではこんなに大きくなって、お嫁さんと孫を連れてきてくれる。絵本の母親はあんなに痩せていたのに、私と同じようにこんなにどっしり体型になってしまった。そしてあの二人みたいに時々会って、時々笑い、時々お互いを心配する、そんな親子にいつの間にかなっていたのだと気づき、思わず泣いてしまった。

    日々の生活の中で、忘れかけていた幼かった息子との大切な時間が、この本にはたくさん刻まれていた。読んでよかった。きっとあの女性も私と同じ気持ちになったのだろう。

    これからも、心の中にあの頃のタイムカプセルを大切に持ち続けては、時々開いてみようと思う。そして「あんなにあんなに」をいつか孫も読んでもらえたらなと思う
  • 実行委員会特別賞 あひる図書館賞

    ペンネーム

    とつか めぐみ

    (静岡県掛川市)

    「ねえ だっこして 」

    文 竹下文子、

    絵 田中清代

    「ねこさんがさびしいっていってる」
    当時小学校1年生だった長女が、絵本を抱えて泣きそうな顔で家事をする私の元へやってきてそう言った。そろそろ夏休みになる頃だったろうか、夕焼けの綺麗な日だったような覚えがある。
    妹たちは年中と1歳になったばかり。保育園から学童保育を回って3人をピックアップして、「さあこれから晩御飯を作るぞ」という時。いつもなら妹たちの面倒をよくみて、テレビを見たり本を読んだりしている長女がそんな事を言ってくるのは本当に珍しいことだった。
    絵本は、赤ちゃんが産まれてママに抱っこしてもらえなくなった猫が主人公だった。「さびしい」なんてどこにも書いてはない。猫の気持ちに共感して彼女は「さびしいっていってる」と伝えてきたのだ。
    外遊びがメインの学童保育がちょっとばかり肌に合わず、妹たちと放課後離れて過ごす事。3人の子育てと仕事でいっぱいいっぱいで余裕のない母親になかなかかまってもらえない事。しっかりしたお姉ちゃんだからと周りからも思われ、妹たちの面倒を見ることを自然に任されるようになった事。「ねこちゃんがさびしいっていってる」は彼女の「わたしはさびしい」という心の訴えだった。我慢ばかりさせてきた事にその時恥ずかしながら初めて気付かされたのだった。
    晩御飯は後回し。久しぶりに長女を抱っこしてこの絵本を読んだ。何度も何度も。泣きそうになりながら。下の子達よりも重い膝の重さと抱きしめた体温の高さ、読み終わった後のみんなの笑顔。今でもこの絵本とこの時のことを思い出すと切なさと愛しさで泣きそうになる。
    この絵本は高校生になっても大学生になって長女の手元にずっとあった。この春に結婚する彼女は、やはりこの絵本を持っていくつもりらしい。いつか彼女の子供にこの絵本を読み聞かせられたら。今の私のささやかな夢である。